ぴよです🐥訪問ありがとうございます。はじめまして
最近読んだ本に「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」がありました
これらはアドラー心理学に基づいて書かれた本です
これらの本を読んで気になったことを、自分の心の整理とともにまとめておきたいと思います🐥
私が一番ストレスに感じているのは、姑ばずこのこと
アドラーの教えに基づいた、対人関係、主に嫌いな人についての考え方についてまとめます
まず、しょっぱなから衝撃を受けたのは「原因論」と「目的論」の考え方の違い
「原因論」・・・過去の経験が今の問題を引き起こしている(今まで私が捉えていた考え方)
「目的論」・・・今起こっている問題に対して、自分の目的の手段として理由づけをしている(アドラーの教え)
アドラーは目的論で物事を捉えるように教えています
私の場合
「原因論」・・・ばずこ(姑)のことが大嫌いになったのは、私が不愉快だと感じるようなことを、今までばずこにいっぱいされてきたから(親に告げ口したり、生活費を入れてくれなかったり)
「目的論」・・・ばずことしゃべりたくない、ばずこの世話はしたくないという、ばずこと関わりたくないことを目的として、自分にとって都合がよくなる手段として、過去の出来事を持ち出してばずこが嫌いという理由付けをしている
目的論で考えるといいことは、今の問題として捉えれば、自分の考え方で、これからの状況を変えることができるということ(過去を変えることはできない)
今の私は、人を嫌いになっていること、ばずこを無視していることが、人として恥ずかしいことをしている、という後ろめたさがあり、ばずこに不愉快なことをされた、だから私は嫌いになったんだ!という理由を無理につけようとしている
嫌いになった理由として
・ばずこのことを軽蔑している(自分勝手、自己中心的、お酒・たばこをやめないくせに病院へ行く)
・ばずこが家庭に損失を与える(生活費を入れてくれない)
・生理的な拒絶反応(1メートル以内に入ると動悸がする)
・期待に応えてくれない(働いてないので時間があるくせに、家事をやってくれない)
しかし、人は誰しも考え方の違いがあり、同じではないので、気が合わない人=嫌いな人がいるってことは自然な事
嫌いな人がいるってことは悪いことではない
嫌いな人を無理に好きになることはない
そう考えれば、自分を無理に苦しめる必要はなくなります
そして、もうひとつ
アドラーは課題の分離をすることを教えています
課題の分離とは、自分の課題(問題)と、他人の課題(問題)を分けること
誰の課題なのかを考えてみる
最終的に困るのは誰かを考え、関係ないことは自分の課題から分離する
子供に勉強させるのは親の課題ではない
勉強するのは子供の課題
最終的に勉強しなくて困るのは子供である
私の場合
ばずこが、私の親に告げ口をしたり、生活費を入れてくれないのは、ばずこ自身の問題であり、私の問題ではないということ
親に告げ口をいって、私の親から軽蔑されているのはばずこ自身
生活費を入れなくて、将来介護をしてもらえないのはばずこ自身
ばずこの課題は切り離し、私とは関係ないと考えれば楽である
嫌いなものは嫌い
相手の課題は、私には関係ない
これでいいのだ~⤴✨
どうしても嫌いな人がいる人はご参考までに🐥🎶
本日は、嫌いな人(姑ばずこ)がいることは自然な事~他人(ばずこ)の課題は私には関係ない‼~のお話にお付き合いいただきまして、ありがとうございました😊💕✨
合掌🙏✨
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